先日、中高生のクラスで、各自気になる新聞記事を取り上げ、作文する授業を行った。
戦争に関するものを取り上げている生徒が複数いた。
作文の最後にある生徒から「先生は『語る会』に参加したことがありますか?私は最近、参加したのですが、胸が締めつけられる思いがしたのです」と書かれてあった。
先日、テレビで戦争被災者のインタビューを観た。
「出兵するときは、たくさんの人が駅のホームで見送ってくれましたが、帰ってきたときには、誰もいませんでした。いくら上からの命令とはいえ、この手でしたことには変わりないのです。何をしてきたのかを語るのは憚られます。私が背負っていくべきものです。私は自分がしたことを一生かけて償っていかなければなりません。」
90代の男性。今現在の柔和な表情と穏やかな口調からは想像もできないようなことを経験されてきたのが、痛いほど伝わってきた。いつ何時も忘れたことはないだろうし、ずっと自分の中に持ち続け、考え続けて、それでもなお答えは見い出せない。そうして七十数年、生きてこられたのだろうと思うと、やるせない気持ちになる。
「上の言うことが絶対の時代でした。言われたとおりにするしかありませんでした。おかしいなと思うことがあっても、そう思うことが許されない時代だったのです。だから、今も新聞やニュースはしっかり目を通します。自分で情報を仕入れ、しっかり考えて、自分はこう思うという自分の意見を常に持っていたいのです。自分で考えることを放棄すれば、またおかしな方向に流れてしまい、取り返しのつかないことになりかねません」
90代の女性。自分の意志とは違うことを、絶対にしたくないことをしなければならないなんて、私だったらおかしくなりそうだ。この女性からは、内に様々な想いを秘めながらも、外圧に耐え忍んで生きてきた沸々とした「生」への力強い意志を感じた。
体験者の語る言葉の重み、説得力は何ものにも代えがたい。
この方々と街ですれ違ったとしても、このような出来事があったとは想像しがたいくらい、慈愛に満ち、柔らかな雰囲気をまとっていらっしゃる。
自分の意志を持ち、それを実行することができる時代に生きている私たち。
見える部分だけでなく、背景にまで目を向けられるようになってほしいと子どもたちに伝えることが私の仕事だ。
自ら情報を仕入れ、考え、話し合い、自分なりの納得解を持って生きていく。
どんなことがあっても、どんな時代でも、力の限り「生きる」を選択してほしい。