薬学部に通う大学生の生徒と就職試験の小論文課題のについて
話をしていた時のことである。
人は短期的なもの、目に見えて効果がわかることならできるけれど、
そうでないことに関しては、なかなかできないことが多いという話になった。
「病気の改善のために長期的に効果があることなのですが、
痛くも痒くもない病気は目に見えないので、
服薬をしてくれない方も結構いらっしゃるのですよね」
と。
内臓の病気というのは知らず知らず進行していることが多いので、
気がついた時には取り返しのつかないところまできていた
ということも少なくない。
国語もそうだなと思う。
この教室を始めたとき、周りに英語や算数の教室はあったが、
国語教室というのがまだ無かった時代だったので、よく言われたのが、
「国語って習うものなの?」
だった。
個人的には、国語こそ、しっかり身に着けておく必要があると思っていたし、
今もそう思っている。
人生全般に大きく関わってくるからだ。
相手の言っていることや、渡された文書、文章が理解できなければ、
仕事にならないと思うし、
自分の言いたいことが相手にうまく伝えられないのもまた然り。
意外と自分の思い込みで、人の話を聞いた気になっていることや、
思い込みで、読んだ気になっていることも多い。
また、何が伝えたいのか、趣旨がよく伝わってこない文章にも出くわす。
こういうことって、子どもの頃に培っておかないとなかなか直るものではないし、
自分では気づけないことでもあると思う。
教室で子どもたちはコツコツ文章を書いている。
コツコツ本を読んでいる。
文章に書かれていることの95%の単語理解がないと
正確には読み解けないと言われている読解力。
小さいころからコツコツ本を読んできた子とそうでない子の差は、
大人になってから表れる。
コツコツ文章を書いてきた子とそうでない子の差もまた然り。
「何か月後にこういう成果が確実に表れます」
などという、即時的な効果がないのが国語である。
それでもコツコツ積んだことが、いつしか社会で活きる自分を作ってくれる。
「大事なことは目に見えない」
けれども、いつかの自分の土壌となるのだ。